2017年05月01日

日光道中千住宿 その17

先を進むと、名前のない交差点に「北へ 旧日光道中」「東へ 旧水戸佐倉道」と刻まれた石標があります。
ここが水戸佐倉道(水戸街道・佐倉街道)の追分。
水戸街道は歩いてみたい街道の1つなので、ここでは触れないでおきたいところだけど、ちょっと寄り道して槍かけだんご由来の地へ。
高正天満宮縁起碑&正木櫟蔭事績碑が区登録文化財となっている千住四丁目氷川神社を横目に清亮寺。
詳しくは水戸街道を歩く時にするとして、槍掛けの松の案内板をパチリ。
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枯れてしまって残念だけど、ホントに槍を立て掛けるのに便利な曲がり具合だね〜。

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2017年04月27日

日光道中千住宿 その16

もう13時を回って、ようやくランチ…ってゆーか、お八つ。(^-^;
かどやさんの槍かけだんごで舌鼓。
今朝は4時に起きてトースト1枚食べただけなので、もう腹減った…。(+_+)
あまりにも腹減ってやきとあんを2本ずつ注文んだらご主人が驚いているので、日本橋から日光街道を歩いて来たと言ったら、並んでいたお客の方にビックリされました。
狙い通り(笑)。
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お店のベンチで10分休憩。
ふぅ。

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2017年04月25日

日光道中千住宿 その15

千住ほんちょう公園の「千住宿 高札場 由来」案内板を横目に先へ進みます。
公園を過ぎると人通りが少なくなって、なかなかイイ感じの風景。

左手は江戸時代から続く千住絵馬屋・吉田家。
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当家に保存されている吉田家絵馬資料と、江戸時代からの伝統を守る千住絵馬づくりが区登録文化財となっています。
現在のご主人は8代目。

右手は元地漉紙(じすきがみ)問屋松屋の横山家住宅。
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江戸後期に建てられたという母屋は昭和11年(1936)に改修されているけど、よくぞ空襲で焼けなかったものだ。
こちらも区登録文化財。
敷地には明治9(1876)年に建てられた外蔵があります。
さっき立ち寄った千住宿歴史プチテラスの建物が土蔵だったけど、何と!その土蔵は天保元年(1830)に建てられた横山家の内蔵で、プチテラスに移築したもの。
そんなことだったら外観の写真だけじゃなくて、中にも入っておけばヨカッタ。(^-^;

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2017年02月26日

日光道中千住宿 その14

さて、千住本氷川神社で気になるのは足立区年中無休ラジオ体操発祥之地碑。
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ラジオ体操発祥之地とチラ見して、マジか!と思ったけど、よく見たら足立区年中無休ラジオ体操発祥之地。
毎日休まずにラジオ体操をするなんて、小学生の夏休みだけしかしていないおらとしては、頭が下がります。(^-^;

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2017年02月25日

日光道中千住宿 その13

お休み処「千住 街の駅」でガイドマップをGETして、セブン茶屋の細い路地を入ると千住(せんじゅもと)氷川神社。
由緒が面白い。
徳治2年(1307)に千葉氏によって牛田の地に氷川社が創建されました。
江戸時代初期、現在地に分社を建立。
明治43年(1910)荒川放水路建設のために牛田氷川神社を分社した当社に合祀。
親が立ち退きで子の世話になり、「牛田」の名を継ぐのかと思いきや、社号は千住の本(元)になった氷川神社ってこと?
当社は旧社殿が区登録文化財です。
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日光東照宮造営に奉仕した大工が建立したそうで、龍や鳥などの彫刻が見事。

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2017年02月05日

日光道中千住宿 その12

ダイエートポス北千住店を過ぎると千住二丁目です。
千住三丁目は国道4号と北千住駅をむすぶ広い道路からと思いきや、その次の、車が通れないほどの細い路地が境なので意外。
その千住三丁目の角にある100円ショップ・そのうハッピーショップが千住宿本陣跡。
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区登録史跡。
一丁目&二丁目は千住本町商店街だったけど、三丁目から千住宿場町商店街になります。
人通りが多いので写真撮影が大変。(^-^;

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2017年02月04日

日光道中千住宿 その11

千住宿に入ると東京芸術センターに問屋場・貫目改所跡があります。
すぐに宿場の施設があるのね。
角の路地を進んで寄り道します。
まずは不動院で、戊辰戦争に従軍した安芸藩士の芸州供養塔にお参り。
そして、お隣の慈眼寺。
正和3年(1314)に創建された古刹で、本陣の代わりを務めることもありました。
案内板によると、境内にある板碑・地蔵菩薩庚申塔・庚申塔が区登録文化財。
庚申塔2基は見つけられたけど、板碑の場所は分かりません。
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当山には江戸町火消しから続く千住町消防組の屯所があったそうです。
安政年間(1854〜60)に「南北千住消防組」ができたことから、大正12年(1923)に殉職者を慰霊顕彰する南北消防組記念碑が建てられました。
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2017年01月09日

日光道中千住宿 その10

仲町氷川神社より街道復帰して掃部宿を進むと名前のない交差点。
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ここが千住一里塚跡で、右手の植え込みに一里塚跡碑が立っています。
左手は高札場跡。
もう掃部宿のはずれで、往時は水除堤が横たわっていました。
堤に沿った堀に架けられた板橋を渡ると、いよいよ千住ほんちょう商店街…じゃなくて、千住宿。

千住宿が日光道中の初宿と定められたのは寛永2年(1625)で、はじめは千住一丁目から五丁目まででした。
しかし、万治元年(1658)に掃部宿が千住宿に加宿され、さらに寛文元年(1661)には荒川南岸の中村町&小塚原町も加宿されました。
なるほど、南千住も千住宿だったのね。

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2017年01月08日

日光道中千住宿 その09

千住仲町交差点で旧道に戻らず、そのまま墨堤通りを東に寄り道。
路地裏に仲町氷川神社。
ひっそりとしているけど、当社はお宝がいっぱい。

まずは区登録有形文化財の関屋天満宮碑。
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登録文化財ってのは、天満宮ではなくて、碑の方。
天満宮自体も、社や祠はなく、石の上に御幣を立てただけなので珍しいけどね。
碑は鳥居の影に隠れて目立たないけど、文化4年(1807)製で和歌や漢詩が刻まれています。

そして、区登録有形民俗文化財の弁天像供養庚申塔。
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弁天さまの庚申塔って初めてかも。
天満宮には祠すらなかったのに、弁天さまの庚申塔は岩の祠に安置され、大事にされています。
しかも、元禄2年(1689)製で、古い!
そのほかに区登録有形文化財の金銅装神輿・四神文鏡もあるけど、見てないので、詳しくは地元の方にお任せします。(^-^;

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2017年01月04日

日光道中千住宿 その08

千住仲町交差点に源長寺。
慶長15年(1610)石出吉胤(いしで よしたね)によって開創されました。
しかし、吉胤が千住大橋架橋の奉行を務めた伊奈忠次を敬慕していたので、忠次を開基としています。
掃部(かもん)宿開発に尽力した吉胤は元和4年(1618)に没。
石出掃部亮吉胤の墓が区指定史跡となっています。
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勝手口?から歩道に出ると、吉胤が元和2年(1616)に築造した掃部堤跡。
へぇ、当山の横を走る都道461号「墨堤(ぼくてい)通り」が堤の跡なのね。
言われないとまったく分かりません。

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