2017年05月08日

日光道中千住宿 その20

千住新橋を渡ると首都高速中央環状線を横目に荒川左岸の土手を進みます。
千住新橋出入口の料金所を目指すと川田橋交差点から旧道復活。
石不動堂・子育八彦尊道道標を横目にひたすら北上します。
足立梅田郵便局の手前、名前のない交差点に「右 旧日光道中」「左 東武鉄道旧線路跡」と刻まれた石標があります。
この辺りから車、歩行者・自転車が増えます。
特に自転車
狭い歩道なのに自転車通行可で、歩行者より速いスピードで通り抜けるのでおっかない。
向かって来る自転車はイイとして、お年寄りを追い抜くのに後ろを振り返らないと、自転車と接触する恐れがあります。
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(東武梅島駅前)

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2017年05月07日

日光道中千住宿 その19

下妻道の追分から旧道は北西に進んで荒川を横断…ってゆーか、土手にぶつかって消滅。
大川町氷川神社で旧千住新橋の親柱を見学してから、千住新橋で荒川を渡ります。
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しかし、往時はここに荒川は流れていませんでした。

本来の荒川は現在の隅田川で暴れ川。
度重なる洪水対策として、千住宿の北側を通る荒川放水路の建設を計画。
岩淵水門から河口まで全長22km。
明治44年(1911)に着手され、1,300世帯の住民が移転を余儀なくされました。
大正13年(1924)に通水が行われ、昭和5年(1930)に完成。
その後の昭和40年(1965)に荒川放水路が荒川の本流と定められ、岩淵水門から下流域の旧荒川を「隅田川」と改称したとさ。

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2017年05月03日

日光道中千住宿 その18

水戸佐倉道の追分から100mほど進むとまた追分
日光街道は左折するけど、真っ直ぐ進む道は下妻道。
“教科書”『今昔三道中独案内』には滝山道となっているけど、下妻道を北上すると、喜連川宿で奥州道中と合流します。
ちなみに、古奥州道はこの追分から中川沿いを北上して、越ヶ谷に出ていました。

この下妻街道沿いにあるのが区登録史跡千住名倉医院。
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名倉家は秩父庄司畠山氏の出で、明和7年(1770)名倉直賢がこの地で接骨医を開業しました。
往時は骨接ぎといえば名倉、名倉といえば骨接ぎの代名詞になるほど賑わっていたそうです。
現在の院長は直賢から数えて8代目。

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2017年05月01日

日光道中千住宿 その17

先を進むと、名前のない交差点に「北へ 旧日光道中」「東へ 旧水戸佐倉道」と刻まれた石標があります。
ここが水戸佐倉道(水戸街道・佐倉街道)の追分。
水戸街道は歩いてみたい街道の1つなので、ここでは触れないでおきたいところだけど、ちょっと寄り道して槍かけだんご由来の地へ。
高正天満宮縁起碑&正木櫟蔭事績碑が区登録文化財となっている千住四丁目氷川神社を横目に清亮寺。
詳しくは水戸街道を歩く時にするとして、槍掛けの松の案内板をパチリ。
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枯れてしまって残念だけど、ホントに槍を立て掛けるのに便利な曲がり具合だね〜。

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2017年04月27日

日光道中千住宿 その16

もう13時を回って、ようやくランチ…ってゆーか、お八つ。(^-^;
かどやさんの槍かけだんごで舌鼓。
今朝は4時に起きてトースト1枚食べただけなので、もう腹減った…。(+_+)
あまりにも腹減ってやきとあんを2本ずつ注文んだらご主人が驚いているので、日本橋から日光街道を歩いて来たと言ったら、並んでいたお客の方にビックリされました。
狙い通り(笑)。
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お店のベンチで10分休憩。
ふぅ。

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2017年04月25日

日光道中千住宿 その15

千住ほんちょう公園の「千住宿 高札場 由来」案内板を横目に先へ進みます。
公園を過ぎると人通りが少なくなって、なかなかイイ感じの風景。

左手は江戸時代から続く千住絵馬屋・吉田家。
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当家に保存されている吉田家絵馬資料と、江戸時代からの伝統を守る千住絵馬づくりが区登録文化財となっています。
現在のご主人は8代目。

右手は元地漉紙(じすきがみ)問屋松屋の横山家住宅。
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江戸後期に建てられたという母屋は昭和11年(1936)に改修されているけど、よくぞ空襲で焼けなかったものだ。
こちらも区登録文化財。
敷地には明治9(1876)年に建てられた外蔵があります。
さっき立ち寄った千住宿歴史プチテラスの建物が土蔵だったけど、何と!その土蔵は天保元年(1830)に建てられた横山家の内蔵で、プチテラスに移築したもの。
そんなことだったら外観の写真だけじゃなくて、中にも入っておけばヨカッタ。(^-^;

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2017年02月26日

日光道中千住宿 その14

さて、千住本氷川神社で気になるのは足立区年中無休ラジオ体操発祥之地碑。
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ラジオ体操発祥之地とチラ見して、マジか!と思ったけど、よく見たら足立区年中無休ラジオ体操発祥之地。
毎日休まずにラジオ体操をするなんて、小学生の夏休みだけしかしていないおらとしては、頭が下がります。(^-^;

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2017年02月25日

日光道中千住宿 その13

お休み処「千住 街の駅」でガイドマップをGETして、セブン茶屋の細い路地を入ると千住(せんじゅもと)氷川神社。
由緒が面白い。
徳治2年(1307)に千葉氏によって牛田の地に氷川社が創建されました。
江戸時代初期、現在地に分社を建立。
明治43年(1910)荒川放水路建設のために牛田氷川神社を分社した当社に合祀。
親が立ち退きで子の世話になり、「牛田」の名を継ぐのかと思いきや、社号は千住の本(元)になった氷川神社ってこと?
当社は旧社殿が区登録文化財です。
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日光東照宮造営に奉仕した大工が建立したそうで、龍や鳥などの彫刻が見事。

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2017年02月05日

日光道中千住宿 その12

ダイエートポス北千住店を過ぎると千住二丁目です。
千住三丁目は国道4号と北千住駅をむすぶ広い道路からと思いきや、その次の、車が通れないほどの細い路地が境なので意外。
その千住三丁目の角にある100円ショップ・そのうハッピーショップが千住宿本陣跡。
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区登録史跡。
一丁目&二丁目は千住本町商店街だったけど、三丁目から千住宿場町商店街になります。
人通りが多いので写真撮影が大変。(^-^;

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2017年02月04日

日光道中千住宿 その11

千住宿に入ると東京芸術センターに問屋場・貫目改所跡があります。
すぐに宿場の施設があるのね。
角の路地を進んで寄り道します。
まずは不動院で、戊辰戦争に従軍した安芸藩士の芸州供養塔にお参り。
そして、お隣の慈眼寺。
正和3年(1314)に創建された古刹で、本陣の代わりを務めることもありました。
案内板によると、境内にある板碑・地蔵菩薩庚申塔・庚申塔が区登録文化財。
庚申塔2基は見つけられたけど、板碑の場所は分かりません。
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当山には江戸町火消しから続く千住町消防組の屯所があったそうです。
安政年間(1854〜60)に「南北千住消防組」ができたことから、大正12年(1923)に殉職者を慰霊顕彰する南北消防組記念碑が建てられました。
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